続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

困難が成長の糧になる!?宗教に入信して得た新しい視点

こんにちは、ぐっちです。

 

前回は、二年ぶりにうつ病が再発し、
仕事を休職することになったところまでお話ししました。


自分では、これまでの記事で書いてきたような、
思いつく限りの予防策は取ってきたつもりでした。

 

生活にも気をつけていましたし、
無理をしすぎないようにも意識していました。

 

それでも、再発してしまいました。


多くの方が経験することだと思いますが、
どれだけ気をつけていても病気になってしまったとき、

「何か自分に良くないところがあって、
 これはその罰なのではないか」

そんな考えが、
強い自責の念と一緒に浮かんでくることがあります。


原因が分からないことに耐えられず、
因果関係をはっきりさせたいという気持ちが強くなり、

合理的な説明ではなく、
超越的な何かに答えを求めてしまうこともあります。


わたしも、まさにその状態でした。


藁にもすがる気持ちで、
これまで選択肢として考えたこともなかったものに、
手を伸ばしてしまいました。

 

知り合いからの強い勧めもあり、
また、考えることや判断すること自体が
とても億劫になっていたこともあって、

これまで一切縁のなかった、
ある宗教的な考え方に触れることになりました。


当時のわたしは、

考えても分からない、
頑張ってもどうにもならない問題に対して、

「霊魂」や「見えない力」といった説明の中に、
何か解決の糸口があるのかもしれない、

そう思っていました。


正直に言うと、
それまでのわたしは宗教に対して、

閉鎖的、
洗脳、
怪しい、

そういったイメージしか持っていませんでした。


ですが、紹介された考え方は、
少なくとも当時のわたしが抱いていた
イメージとは少し違っていました。

 

お金の扱いが明確であったり、
教えの内容も極端なものではなく感じられたことで、

「これなら大丈夫かもしれない」
と、判断してしまいました。


そこでは、

人間が本来持っている力を高めることや、
身体にたまった不要なものを外に出すこと、

といった説明がなされていました。

 

また、

薬は人間本来の力を弱めてしまうため、
できれば使わない方がよい、

という考え方もありました。


さらに、

この世は魂の修行の場であり、
人生で起こる困難や病気も、
魂を成長させるために必要なものだ、

という世界観が語られていました。


苦労が多いほど、
魂は磨かれる。

穏やかな流れよりも、
激しい流れの中でこそ、
角が取れていく。

そんなたとえ話もありました。


いま振り返ると分かりますが、
当時のわたしは、

「なぜこんな目に遭うのか」
という問いに対して、

何でもいいから、
納得できる答えが欲しかったのだと思います。


この考え方が正しいのかどうかは、
正直、いまも分かりません。

断定しようとも思いません。


後の回で触れる認知療法の話とも重なりますが、

因果関係が分からないときに、
それを「自分の罪」や「魂の問題」に結びつけてしまうことも、

単なる思い込みである場合もあります。


ただ、

死や病といった、
合理性だけでは説明できない出来事を、

何らかの体系の中に位置づけることで、

「何か悪いことをしたのではないか」
「自分が責められるべきなのではないか」

そうした思考から、
一時的に距離を取れるという側面は、
確かにあるのだとも感じました。


また、

成果や効率、
強さや成功だけが評価される価値観から、
少し距離を置き、

困難そのものに意味を見出す、
別の見方を知るきっかけにもなりました。


休職から一か月ほど経つと、
身体の重さが少し和らぎ、

「もしかしたら、以前と同じように、
 また回復していくのかもしれない」

そんな淡い期待を持ちました。


ですが、その直後、
特別なきっかけもないまま、
再び身体が鉛のように重くなりました。

理由は分かりませんでした。


こうなると、

トイレの蓋を開けるか閉めるか、
靴を出しておくかしまうか、

そんな些細な行動にまで、

「どちらが病気を悪化させない選択だろう」

と、いちいち迷うようになりました。


運動すれば疲れる、
休めば回復する、

そういった経験則も通用せず、

何をしても、
それが病気に関係しているように感じられました。


薬を飲むかどうかも何度も迷い、
宗教に頼った自分を
恥ずかしく思う気持ちも出てきて、

主治医に正直に打ち明けました。


すると、主治医は、
とても淡々と、こう話してくれました。

因果関係のない体調の波は、
 自然の流れなので気にしなくていい。

 宗教は観念の世界、
 医学は平均の世界。

 平均から外れる奇跡的な回復も、
 理論上はあり得るけれど、

 統計的には、
 薬をやめて悪化する人の方が圧倒的に多い。

 だから、薬をやめることは勧めない」

 


その言葉を聞いて、
肩の力が抜けました。


「どちらかを信じなければいけない」
「間違った選択をしたら終わり」

そう思い詰めていた自分に気づきました。


負担にならない範囲で、
距離を保てているなら、

それでいい。

そう言ってもらえた気がしました。


この経験は、

自分がどれだけ追い詰められていたかを、
後になって理解するための、
一つの通過点だったのだと思います。


つづきます。


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naturalway.hatenablog.jp