こんにちは!
ketoraaaです。
先日、はじめてスターというものをいただきました。
ひっそりとやってるブログですが、読んでいただいて大変うれしいです。
ありがとうございます。
前回は、突然職場の電話のベルが耐えられなくなったところまでお話ししました。
その日の午後に精神科いったところ、「人には自分の心を周囲の刺激から守るためのバリアがあるが、バリアが弱って刺激が直接心に届いている」と言われ、適応障害と診断されて、初めて薬を処方されました。
この時は、自分の限界まで挑んだという自負もあって、「仕方ないか」くらいに考えていました。
本社も、さすがに精神科へ通院をはじめた者をそのままの環境に置いておくわけにはいかないとして、翌年の4月までの予定だった異動の期間が短縮され、平成24年12月初旬に東京に戻されました。
病院も、被災地の病院に紹介状を書いてもらい、いまも診察を続ける新宿の病院に移りました。
被災地へ、しかもとりわけ困難な部署へと、東京の仲間に派手に送り出された結果の、中途半端な出戻りとなり、情けなさ、恥ずかしさが入り混じりながら元の職場に戻ったのを覚えています。
不思議なもので、職場で電話のベルに耐えられなくなったあの日まで、普通に生活し、その前日も普通に仕事の打ち合わせをしていたにも関わらず、その日、たった一日を境に、身体はしんどい、音は不快、考えるのもしゃべるのも億劫と、急に身体だけ別物と入れ替わってしまったようでした。
東京の同僚は、多少ぎこちなく「お疲れさま」と迎えてくれました。
東京に戻っても、電子音に過敏な状態は変わりませんでした。むしろ、電子音にポイントを置いて日常を過ごしてみると、スマホ、電車のアナウンス、コンビニに流れる音楽、街頭ビジョン、会議のマイク、電子レンジと、日常は電子音まみれでした。
テレビの音も不快でしたが、なぜかNHKラジオだけは落ち着いて聞くことが出来ました。
また、服が肌にこすれると、かゆみを感じるようになりました。
何着か着ているうちに、化学繊維のものはかゆいことに気づきました。
天然素材のものは滅多にかゆさを感じることはなく(ものによっては綿100%でもかゆいものもありましたが)、服をだいぶ買い替えることになりました。
電話の着信音、テレビの音、化学繊維の服、どれも日常では当たり前のものでした。
体調のよい時には意識すらしませんでしたが、普通の生活をしていても、自分の身体がこれだけ多くのストレスにさらされているということに、この時初めて気づきました。
普段、大きなストレスは意識していても、こうした小さなストレスが意識されることは、まずありません。
満員電車など、生活の上で当たり前のストレスとされて、みな無言でガマンを強いているものばかりです。
ですが、そのストレスは確実に存在し、私たちの神経は着実にそれをキャッチしています。
こういう小さなストレスをないがしろにしていると、ちょっとしたきっかけで自分の許容量を超えてしまうようになるようです。
私は元々ちょっとしたストレスで寝つきが悪くなる方でしたが、日常的に寝つきが悪くなりました。
それでも、元々の症状が軽かったこともあり、東京に戻って少しずつ体調は回復していきました。
つづきます。
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