続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

やりがいを求めて、大きな災害対応の現場へ異動した話

こんにちは、ぐっちです。

 

前回は、仕事量が限界に近づいていく一方で、  
自分の仕事の意味が見えなくなっていったところまでを書きました。

 

毎日が忙しく、  
確かに手は動いているのに、  
「その結果、何が残るのか」が分からない。

 

そんな感覚が、ずっと心の奥にありました。


当時のわたしは、

「この生活を、もう一年続けたら身体がもたない」

そう感じていました。

 

同じ壊れるなら、  
今のように存在意義がよく分からない仕事ではなく、  
もっと人の役に立つ場所で使い切りたい。

 

今思えばかなり危うい考え方ですが、  
当時はそれが、とても切実でした。


ちょうどその頃、  
社会全体が大きな災害の対応に追われていて、  
人手が足りていない現場があることを知りました。

 

強い使命感というよりも、

「誰かの役に立っていると実感できる場所に行きたい」

その気持ちが一番近かったと思います。


希望が通り、  
期間限定で、災害現場の県へ出向することになりました。

 

環境は、それまでとは大きく違いました。

 

仕事の進め方も、  
前提となる条件も、  
これまで積み上げてきたやり方が、ほとんど通用しません。


それでも当時のわたしは、  
激務の部署で身につけた「アクセル全開」の状態を引きずっていて、

とにかく思いついたことを、  
片っ端からやってみる、という姿勢で動いていました。

 

うまくいかないことも多かったですが、  
「この仕事は誰かの役に立っている」という実感が、  
わたしを無理やり前に進ませていました。


今振り返ると、

「ほどほどに働ければ十分」

そう考えていた人間とは思えないほど、  
自分を追い込んでいたと思います。

 

限界を試したい、  
中途半端だった自分を塗り替えたい。

 

そんな思いが、  
仕事への過剰な没入として表れていました。


現場では、  
わたしのやり方に違和感を持つ人もいました。

それでも、

「とにかく動く人」

そんな評価をされることもありました。


人との関係を大切にしようと、  
得意ではない場にも顔を出しました。

 

休みの日も、  
その土地を知ろうとして、あちこちを回りました。

 

それが本当に誰かのためだったのか、  
それとも、自分の不安を埋めるためだったのか。

 

当時のわたしには、  
その区別がついていませんでした。


ただ一つ言えるのは、

この頃から、  
「役に立たなければ価値がない」という考え方が、  
静かに、でも確実に、  
自分の中に根を張っていったということです。


つづきます。

 

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