こんにちは!
ketoraaaです。
前回は、高校大学と、失敗体験を繰り返すことで自己否定の習慣が強まっていったことをお話ししました。
前回もお話ししたように、こうした背景、考え方のクセ、環境、習慣に、思い当たるところがある方は、いまの自分が自然でいるかどうか、少しだけ見つめ直すきっかけにしていただければと思います。
私は、喉に刺さった魚の骨のように、高校・大学とひっかかり続けていた、計画・目標を実行できないという課題を何とかしたいと思い、「自分はこういう性格だから、こういうところを直さなくてはいけない」と自己分析して、頭でっかちになり、理想と現実とのギャップがますます広がって、結局自分のことがますます嫌いになっていきました。
自己紹介の回にも書いたように、アニメーターになりたいという夢を持っており、そのために日本大学芸術学部に進みましたが、理想と実力の差は開く一方で、立ち往生し、もんもんと結論を先延ばしした挙句に、ロクに挑戦しないまま挫折しました。
努力して輝いている人間を妬み、うらやましく思いました。自分のしゃべり方もファッションも髪形も、周りからバカにされているような気がしていました。
近くで笑い声がすると、自分が笑われているのではないかと、自分のおかしいところを探しました。
自分には何か決定的なものが欠けているのだと思っていました。欠けたものを埋めるために、自分を責める以外の方法を知りませんでした。
自分が好きになりたいと、強く強く思っていました。
ですが、計画を実行できるというなりたい自分に近づく方法は、目標を紙に貼りだすことでも、自分の性格を分析することでもなかったのです。
趣味を充実させたり、人脈を広げたり、本をよく読んだり、人の話をよく聞いたり、模範となる人を真似したり、絵に描いたように充実した生活を送れないと、なりたい自分に近づけないのだと思っていましたが、私の場合は、それらでもありませんでした。
もちろん、人によってはそういう方法のこともあると思います。
わたしの場合、なりたい自分に近づくきっかけを与えてくれたのは、予想もしない意外な「方法」でした。それは、うつ病という病気だったのです。
ちなみに、こうした私の自己否定や原因探しの姿勢は、内省心理学といい、私たちの生活の芯まで溶け込んでいます。
ニュースを見ていると、必ず原因は?対策は?と最後に言っていますよね。
内省心理学とは、このように、できないことは原因があり、それを見つけて直せば改善するという考え方です。
その考え方が自分に当てはめられた場合、原因は必ず私にあるということになります。
仮に原因が分かったとしても、それに対応した行動にはできないため、まさに私がずっとやってきたように、さらなる自己否定につながる副作用のある方法です。
つづきます。
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