こんにちは!
ketoraaaです。
うつ病の治療は、単なる病気の治療というだけではありません。
最初に書いたように、自分の自然な生き方に近づく糸口でもあります。
私がうつ病になってその工夫を知るのに、15年くらいかかりました。
私は、「つらくなければ仕事ではない」という人生哲学のように、全員が同じレベルの過剰な苦労を経験しなければならないとは思いません。
もちろん適量の苦労はあるでしょうが、一人ひとりがうつ病を経験して、15年もかかって暮らしの工夫に気付くことはないと思います。生きることに無気力になってしまうような苦労は、人生に必要な苦労とは何か別のもののような気がします。
そこで、どういう背景があって私がうつ病になったのか、そして、なぜうつ病の治療に使われる方法を、うつ病になる前に生活に取り入れた方がよいと思うのかについて、これから少しずつ書いていこうと思います。
これからお話しする背景、考え方のクセ、環境、習慣に、思い当たるところがある方は、いまの自分が自然でいるかどうか、少しだけ見つめ直すきっかけにしていただければと思います。
わたしが高校生の頃です。食事が終わり、宿題をやろうと嫌々机に向かっていると、いつもそのまま寝てしまいました。
宿題は終わっていません。お風呂にも入っていません。制服のまま目覚めては、「なんで寝てしまったんだ」と自己嫌悪に陥って、朝あわててシャワーを浴びていました。
寝てはいけないことは分かっていましたが、テスト勉強や宿題があればあるほど、よく眠れてしまいました。また、切羽詰まった状況になるとゲームやマンガに逃げてしまい、後から猛烈に後悔しました。
「寝ないようにする」「ゲームをしてはいけない」「3時間勉強する」という目標や計画を立てては、実現できない自分を「頑張りが足らない」と責めました。
テスト勉強のスケジュールだけは、「何時から何時まで数学、その後英語の問題集何ページから何ページまで」と、理想的なものを作って、毎回実現できずに「またダメだった」と落ち込んでいました。
目標を紙に書いて貼りだすとか、より良い計画を立てるとか、眠らないように布団をしまうとか、集中できるように音楽を流すとか、ゲームやマンガを鍵のかかった棚にしまうといった、欲に打ち克つために思いつく方法を試しましたが、どれもうまくいきませんでした。
そのような感じで、高校生活は漫然と過ぎていきました。「こんなダメな自分には、何一つ魅力がない。人に嫌われるのが当たり前だ」と思っていたことから、人の顔色ばかりをうかがっていました。
そうした「自己否定の習慣」は日に日に強くなりました。
大学生になってからも、習慣や生活はそう易々とは変わりませんでした。
いつも課題に手を付けるのはギリギリ、綱渡りで単位を取りました。
はじめて一人暮らしをしてみて、自分が、日用品を買ったり、掃除をしたり服を整理したりという、生活の質を上げるための方法を何も知らないことを思い知りました。
つづきます。