続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

紙一枚分の工夫が、うつ病予防にとって大事だと思う理由

こんにちは、ぐっちです。

 

うつ病の治療は、  
単に「病気を治す」ことだけではないと、  
わたしは感じています。

 

それは、  
自分にとって自然な生き方に  
少しずつ近づいていくための過程でもあります。

 

わたし自身、  
そのことに気づくまでに  
かなりの時間がかかりました。

 

だからといって、  
すべての人が同じような遠回りをする必要はないとも、  
同時に思っています。

 

「つらくなければ仕事ではない」  
「苦労して一人前」

 

そうした考え方が、  
当たり前のように共有されている場面を、  
これまで何度も見てきました。

 

もちろん、  
生きていれば苦労がゼロになることはありません。

 

ただ、  
心や体をすり減らし続けることまで含めて  
「必要な苦労」なのかというと、  
わたしは少し違和感を覚えています。

 

うつ病になるほどの消耗は、  
少なくとも、  
誰にとっても必須の通過点ではないはずです。

 

だからこのブログでは、  
うつ病になる前の段階で、  
日々の生活に取り入れられる  
小さな工夫について書いていきたいと考えています。

 

ここからしばらくは、  
わたし自身の背景や、  
考え方のクセ、  
生活の中で積み重なっていった習慣について、  
少しずつ触れていきます。

 

もし読んでいて、  
「少し分かる気がする」  
「似たところがあるかもしれない」

 

そう感じる部分があれば、  
いまの自分が無理をしていないかを  
軽く確かめるきっかけにしてもらえたら十分です。

 

高校生の頃のことです。

 

夕食を終えて、  
宿題をやらなければと思いながら机に向かうと、  
そのまま眠ってしまうことがよくありました。

 

目が覚めると、  
宿題は終わっていない。  
お風呂にも入っていない。  
制服のまま朝を迎えている。

 

「また寝てしまった」

 

そんな自己嫌悪とともに、  
慌ててシャワーを浴びて登校する、  
ということを繰り返していました。

 

やるべきことが多いほど、  
なぜかよく眠れてしまう。

 

追い込まれるほど、  
ゲームやマンガに逃げてしまう。

 

そして後から、  
強い後悔だけが残る。

 

「寝ないようにする」  
「ゲームをしない」  
「今日は三時間勉強する」

 

そうした目標を立てては、  
守れない自分を  
「努力が足りない」と責めていました。

 

テスト前には、  
理想的なスケジュールを作ります。

 

何時から何時まで数学、  
そのあと英語を何ページ。

 

けれど、  
ほとんど実行できないまま時間だけが過ぎ、  
「やっぱり自分はダメだ」と落ち込む。

 

布団をしまったり、  
集中できる音楽を流したり、  
ゲームやマンガを物理的に遠ざけたり。

 

思いつく工夫は一通り試しましたが、  
どれも長続きはしませんでした。

 

その結果、  
「できない自分」を前提にして  
自分を評価する癖が、  
少しずつ強くなっていきました。

 

「自分には魅力がない」  
「嫌われて当然だ」

 

そんな思いが、  
日常のベースになっていった気がします。

 

大学生になっても、  
生活や考え方は  
急には変わりませんでした。

 

課題に取りかかるのはいつもギリギリ。  
綱渡りのように単位を取る日々。

 

一人暮らしを始めてみて、  
掃除や整理、  
生活の質を整えることを  
何ひとつ知らない自分にも気づきました。

 

こうした積み重ねが、  
ある日突然うつ病になる、  
という形で現れたわけではありません。

 

もっと手前に、  
無理のサインはたくさんあったのだと思います。

 

だからこそ、  
特別な才能や劇的な変化ではなく、

 

紙一枚分の、  
本当に小さな工夫の積み重ねが、  
とても大事だと感じています。

 

このあと、  
わたしがどんな環境で、  
どんな考え方をし、  
どんなところで無理を重ねていったのか。

 

もう少し具体的に書いていきます。

 

続きます。