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長時間労働で発症したうつ病と3度の休職をきっかけに、全てがハッピーに向かうブログ。今の苦しさもハッピーエンドにつながる。止まらない不安に悩む方の背中をそっと支えられたらうれしいです。コメント&Twitterメッセージ大歓迎!

映画「天気の子」と武田双雲さんの幸福哲学

見てきましたーヾ(≧▽≦)ノ

話題の映画「天気の子」

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←土下座しているのはわたしです(笑)土下座の理由を知りたい方はTwitterをのぞいてみてください(^^)

前作、「君の名は」はセンス・オブ・ワンダー(驚くべき創造性に溢れた芸術に触れることで受ける、ある種の不思議な感動)に溢れた素晴らしい映画でした(*^ω^*)

わたしが大学生の頃、新海誠という人物がたった一人でアニメ映画「ほしのこえ」を作り上げ、商業的に成功させて、わたしたち学生を震撼させたことを思い出します。

 

それでは、今はサラリーマンとして働きながら、実は日本大学芸術学部映画学科映像コースでアニメーションを勉強していた(スタジオジブリの高畑勲さんからも教わることが出来ました)ぐっちが、「天気の子」の感想を書かせてもらいます(´▽`)

「天気の子」も、「君の名は」と同様、美しい風景描写に「善VS悪」という二元論を超えた心のあり方を描いた素晴らしい映画でした。

実は、「天気の子」を観ながらわたしの頭に浮かんだのは、書道家・武田双雲さんのこのブログでした。

人の気分や機嫌は、

常に変化しています。

だから、

他人の反応にとらわれないこと。

たとえば、

すごく冷たくされたとしても

向こうはたまたま気分が悪いのかもしれないし、

機嫌が悪いのかもしれない。

他のことを考えてるかもしれない。

コロコロ天気より変わりやすいのが、人間の心。

コロコロ心

心コロコロ

相手の

ひとつひとつのリアクションに

ふりまわされぬよう

コロコロしてるんだなぁ。

くらいで、

だいぶ、楽になる。

双雲@だって、自分の心もコロコロだもん

元記事:武田双雲 公式ブログ - July 25, 2019 - Powered by LINE

このブログが思い浮かんだことで、わたしの中で、日本アニメに時空を超えた一本の線が通ったような気がしたのです!

←壮大な前ふり!(笑)

 

それは「他者との関わり」という視点です。

「天気の子」はタイトルのとおり、天気を主題とした映画です。

原因不明の長雨が続く東京を舞台とし、「晴れ女」という特殊な使命を与えられてしまった少女と、家出少年の心の交流を描いています。

「天気」は、武田双雲さんのブログにもあるように、コロコロと常に変化するものです。

雨の時もあれば、晴れの時もある。

曇りの時もあれば、最近のように猛暑が続くこともある。

わたしの在り方とは無関係に変化していきます。

自分の外側で自分とは無関係に起きていることですから、「今日が雨だから、わたしは価値がない」なーんて自分の評価基準とはなりません。

そういう意味では、「天気」は自分の外側のもの、つまり「他者」です。

ところは、わたしたちはこの「他者」に振り回され、自分を評価し、否定し、自分のやりたいことすら迷子にしてきました。

極端に言うと「今日は曇りだからわたしには価値がない」をやってきたんです!!

そして、日本のアニメは、いつもこの「他者との関わり」を主題に描かれてきたのです。

特に、日本のアニメの特徴は、「10代の少年・少女が地球の運命を背負って他者と関わる」という主題を、その時代の空気を敏感に察知して繰り返し描いてきました。

実はこれは、東アジア圏以外の国では理解され難い表現でした。(最近は別の文化圏でも長期停滞と言われる日本化が進んでいるため、共感を集めるようになってきています。)

ハリウッド映画を観れば一目瞭然のように、世界を救うのは必ず「大人」であり、子供はその庇護を受ける存在でしかありません。

しかし、日本のアニメは、一貫して少年少女を主人公に描いてきました。

これは、日本(東アジア)の10代の抑圧感・無力感と無縁ではなさそうです。

日本の教育制度は、アニメ誕生の頃から根本は変わっていません。

一つの正解に近づくことを最良とした減点法システムです。

ある一定の枠内にキレイに収まる人間を大量生産するために作られています。

関連記事:沖縄に向かうバスで考えた教育の話 - ナチュラルなイキカタ

受験制度も、細かい工夫は施されつつも、偏差値時代の制度から大きく外れてはいません。

この抑圧は、一億総中流と言われたように、大量の中流を生み出す一方で、ある種の思考停止を強い、一部のヒーローを生み出すことを拒絶してきました(出る杭は打たれる!)

 

話がそれました。

この辺の話は別の記事に譲るとして。

今回、「天気の子」を観て、「他者との関わり」という視点で日本アニメを振り返ると、非常に面白いこと発見がありました。

ちなみに、ここで言う「他者」は、「他人」というよりも「自分の外側」くらいの概念だと思ってください。

日本のアニメで描かれてきた他者との関わりは、“いい成績をとり、いい大学に入り、いい会社に入り、結婚し家を建て、子供を育てる”という日本的生き方の「正解」が崩壊していく様と見事に一致していたのです!

 

まずは「鉄腕アトム」(1963)から見ていきましょう。

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https://s.animeanime.jp/article/2013/01/21/12749.html

アトムは、世界という「他者」を救うため、自己犠牲を選択します。

この時に優先された価値観は、「使命」という他者への無条件な貢献です。

「宇宙戦艦ヤマト」(1974)でも、放射能に汚染された地球を救う人類最後の希望という使命感が、主人公たちを突き動かす重要な価値観です。

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https://www.google.co.jp/amp/s/getnews.jp/archives/146976/amp

それが、「機動戦士ガンダム」(1979)になると、「大人や社会のルール」という「他者」に対して、強い違和感を抱き、抵抗するようになります。

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https://matome.naver.jp/m/odai/2137303236535821701/2137320719187149303

抵抗はしますが、大人の社会やルールの前では一少年は無力です。

それほど強力に「やりたくないことをやらない」という選択肢は、ないも同然だったのです。

いまだと「やりたくないなら止めれば」で済みそうな話ですが、若者のカリスマ尾崎豊の歌詞をみてもこの時代の空気感がよくわかります。

この支配からの卒業

大人や社会のルールに従うことを、支配とまで言わせる抑圧感・・・。

さらに「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)になると、「他者」はもはや意味不明で不条理な存在(使徒)として描かれ、社会のルール(ゼーレ)も実態不明の巨大なブラックボックスです。

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https://www.videopass.jp/videos/12263

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←目的も分からないまま地球を破壊する使徒

http://animetribia.com/126/

その結果、主人公は生きる意味を見出せず、自我崩壊の極限状態まで追い込まれていきます。

おもしろいことに、同時期に公開された「もののけ姫」(1997)では、主人公アシタカは、なんとか「他者」や自己との折り合いを付けようと奔走し、完全ではないにしろ、かろうじて森の環境を残します。

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https://middle-edge.jp/articles/vGkjc?page=2

まだ、こういう時代であっても、「他者」と共有できる価値によって、完全ではないにしろ共同体が構築できるという、巨匠・宮崎駿さんの信念を感じる映画です。

 

実は、これまであげたすべての作品に共通するのは、「他者」というコロコロと常に変化する正解のない自分の外側に翻弄され、人生を振り回されてもなお、「他者との関わり」の中だけで消耗しきって、自分自身の在り方について掘り下げる余裕すらないことなのです。

だからわたしは共感し、アニメに魅了されてきました。

←今見るとどう感じるかな・・・

さて、「もののけ姫」公開から22年。

2019年に公開された「天気の子」の主人公たちは、「天気」という「他者」に対して、自分たちの在り方をどう選択をするのか!?

どうもこの主人公の選択に賛否両論あるみたいですよ(^∇^)

批判記事例(ネタバレあり):映画『天気の子』を観て抱いた、根本的な違和感の正体(杉田 俊介) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

例えば、この記事の次のような文を読んで、森羅万象のとらえ方の初期設定が違うと、映画もこう観えるのかーと思いました。

「この現実は少しも大丈夫ではない」 と強く認識するところからしか、行動も変革も生まれないし、 自分たちの存在や欲望を変えようとする意志も生まれないのではな いか。

わたしは彼らの選択にめっちゃ共感です!

その選択は、ぜひ劇場で見届けてください。

ヒントは、武田双雲さんのブログにありますね(^^♪

 

ぐっち