これまでの自分史を通じたリーディングや、feelingの掘り下げにより、少しずつありのままのわたしに近づいてきた気がします。
例えば、
「視点の変化」に最も楽しさを感じる。
哲学的に意味を見出せることをやりたい。
もちろん、今も神経過敏(自律神経失調)に悩むように、脳の変化に対してバランスをとりならが、ほんの少しずつの前進です。
ただ、ありのままの自分の感覚を踏まえて、自分がどうしたいか、という段階にも入ってきました。
その二つを満たした望むことができたらどうなりますか?ではそれが叶ったら?さらにそれも叶ったら?
Tさんから、このイメージをしつこいくらいに掘り下げられました。
わたしから最後に出てきたのは、誰もがありのままで生き生きとする世界のイメージでした。
Tさん:
では、そのイメージは実現すると思いますか?
ぐっち:
95%くらい実現しないと思います。自分の能力では・・・。それほど人望もないですし。
Tさん:
いいえ。持って生まれた素質ではなく、全員が実現できます。
実は、わたしがあえて頭では答えられない、直感でしか答えようのない質問をするには理由があります。
なぜかと言うと、直感でイメージできたことは、魂が覚えていることなんです。
今掘り下げていった中で、「生きることは苦しい、修行」というイメージは出ませんでしたね?
それが出る人もいるんです。
実は、「生きることは修行」というぐっちさんのこれまでのイメージは、頭で考えたことであり、ぐっちさんの魂にはインストールされていません。
そのイメージも、自分一人の楽しさではなく、一時的な解放感でもない、まさにぐっちさんの心が素直に動くものでした。
学んだことより、自分から出てくる言葉が、一番パワーがあります。
魂の記憶ですから。
95%実現しないのではなく、もうすでに、95%実現してるんです。
そのためにも、自分の魂をありのままに出す必要があります。
何か条件付けされた人だから実現できるのではない。
愛には条件はついていません。
ありのままのぐっちさんのほうが愛されます。
喜怒哀楽がある自分の魂を抑え込んでいたら、魂の力は弱まります。
シンプルに、喜怒哀楽を出していけばいいんです。
ガマンできるでしょうが、
しますか?
しませんか?
という話です。
喜怒哀楽を繊細に見ていくと、クリアにわかります。
他の人との関わりの中で、いかに自分らしくいるか。
トライアンドエラーの中で、いつも楽しくいる自分なりの方法がわかっていくんです。
ぐっち