こんにちは!
ketoraaaです。
このブログでも書いてきた、より多くの正解「満点」を追求する生き方の息苦しさ、違和感、窮屈さ。
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日本の大学の教育者にも、そう語る方がいました。
京都大学総長の山極寿一さんです。
山極さんは、ゴリラ研究の第一人者だそうです。
そういう意味では、生き物の自然なあり方に精通していると言えます。
そういう方が、現代の学生に必要だと考える力は、正解を導く力ではありませんでした。
小さな行動、小さな一歩に躊躇している方はぜひ読んでください。
山極さんは、従来の海外留学とは違う、学生が自ら渡航先や、そこで何をするのかをゼロから計画し、自分の責任で交渉もし、経験してくるというプログラム、「おもろプログラム」をはじめました。
これ自体相当興味がありますが、このプログラムを通じて、学生は同じことが起きないこと、予想が外れること、思いがけないことが起きることを体験します。
これが重要だそうです。
なぜなら、
それを体験しておくことが必要なのです。心構えとして重要なのは『失敗しても命を落とさなきゃいい』ということ。正解ではなく、決定的に間違えないことを覚える
必要があるから。
正解か不正解かが大事だったことって、人生の局面でどれほどあるでしょう。
私には、せいぜい学科テストくらいしか思い浮かびません。
正解も不正解もないんだから、やってみましょうよ。私の思ったことを。あなたの思ったことを。
どれだけくだらなくてもいい。
どれだけ小さくてもいい。
どれだけ時間がかかってもいい。
正解に近づくよりも、尊い経験が得られます。
私たちが、私たち自身の行動で、私たちだけの経験をすることでしか得られないものが必ずあります。
私たちは、場数で鍛えられるのですから。
決定的に間違っていないかどうかという物差しで見たら、世界はかなり自由です。
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山極さんはこう言っています。
正解することと間違わないことも同じではないんです。自然界では大きな失敗をしちゃったら命を失いますから、決定的な失敗さえしなければいい。そうやって動物も人間も生きてきた。でも現代の人間は、頭の中ですべて処理しようとするので、どうしても正解を求め、より正解に近づくことばかり考える。そのためにフレキシビリティー(柔軟性)を失ってしまうのです。本当はもっといろんなやり方があるはずなのに、みんな同じように振る舞う方向に向いてしまう。
そして、同じように振る舞えないことが、人生全てに失格の烙印を押されたことになる。
そうならないためには、直観力が必要だというのが山極さんの考えです。
直感でもなく、直観。
聞きなれない言葉ですが、私は五感を通した経験値のことだと思いました。
僕はいまの学生にとって、自分の身体で体験し、感じたことをどんな言葉でもいいから手を動かして書くということが、非常に大事だと考えています。IT(情報技術)が当たり前の時代に育ったいまの若者は、知識は人から人へ伝達されるものではないと思っている。欲しい情報はインターネットで検索すればすべて手に入るじゃないかと。でも知識というのは、人から人へ、あるいは本から人へ、時には暴力的な形で、身体の中に飛び込んでくるものなのです。経験しないと身体化はできない。それこそが直観力です。
私も、指でボタンを押すのと、ペンで文字を書くのは、身体の感じ方がまったく別だと思います。
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はたしてジャングルを生き抜く直観力が、コンクリートジャングルではどう波及するか。
試してみないと分かりませんね。
まず、試す。