ナチュラルなイキカタ

うつ病生活6年目の36歳サラリーマン。多くの人にナチュラルな生き方の心地よさを知ってほしい。精神科の薬の断薬・減薬、小さな行動の積み重ねをトライ中。つらい思いで苦しむ人の心が少しでも軽くなるように体験をシェア。ゆるりと更新中。

【一区切り】島田紳助さんの言葉と小林麻央さんの言葉


こんにちは!

ketoraaaです。

2度目の休職中に出会った言葉で、最も印象に残っているのが、テレビでアナウンサーの羽鳥慎一さんが、島田紳助さんから教わったと紹介していた言葉です。

人生は下りのエスカレーターを昇るようなもの。だから現状維持できていれば十分

この言葉は、設計書と1ミリも違わず作られた部品同士がピタッとはまるように、その時の私の感覚にフィットしました。

私は、2回休職を経験し、体力や頭の回転も休む前のようにはいかなくなりました。

それどころか、寝ることや食べること、起き上がることといった、生活の根本から立て直す必要がありました。それからここまで書いてきたような色々なことがあり、いまは、猛烈に働いた30歳頃と同じ状態に戻るとは思っていません。戻ろうとも思っていません。

それまではなんとなく、身長が伸びていく、記憶した英単語の数が増えていく、というように、時間の流れとともに何事も勝手に成長・拡大・向上するという固定観念がありましたが、身体全体のパフォーマンスは、身長や英単語とは違うのです。

20代までのやり方で自分の身体を酷使していると(もちろんラッキーなことにそのまま突っ走って走りきる人もいます)、いずれ身体の回復力と活動量が逆転し、大きな反動を引き起こすことになりかねません。

そしてそれは、自分が弱いからでもなく、ダメだからでもなく、不正解でも失敗でも罰でもなく、ごくごく自然な人間の変化です。

年を重ねて、身体的な成長とは別の、未知の世界に足を踏み入れる新しい冒険が始まったのです。

ちょうどそう思っていた頃、ガンと生きる姿を世界に発信されていたアナウンサーの小林麻央さんが34歳で亡くなりました。私は、小林さんの言葉に心を打たれました。

私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

ガンやうつ病といった、それまでの生活を一変させてしまう病気は、その他の出来事を消し去り、生活の100%を病気の色で染めて、全ての基準を「病気」にさせてしまうことがあります。

私はそうでした。「もう自分には病気しかない」と考えていたのです。

小林麻央さんの言葉の最初にあるように、健康だった「元の自分」に戻ろうと、もがき苦しむことも少なくありません。

ですが、うつ病を経験することで新しくなった私のアンテナは、紙一枚分の工夫のような、いままで自分のアンテナにかからなかった様々な言葉や行動を、いくつもキャッチしてくれました。

それとともに、次第に「うつ病にならないこと」が私の生活の全てではなくなり、「風邪の100%完全な予防ができないことと同じ」とも考えられるようになってきました。

そして私は、「肩の力が抜け、足りているものに満足し、小さなことを楽しむ、しなやかで強い心を持った自分」を目指すようになりました。

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その姿を、「甘え」でも「手抜き」でも「弱さ」でもなく、私の自然なあり方だと思うようになりました。

自分の暗い影が見えるということは、光の中に立っているということ

だったのです。

「私の自然な生き方がこうだ」という結論に達したわけではありません。

「そっちの方がなんとなくよさそうだ」という感覚です。

「私の自然な生き方に近づく」という目標の方が、「うつ病を制圧する」という目標よりも、私にとって無理のない自然な感じがするのです。

そう考えてみるとうつ病は、消し去らなければならない「私を覆う黒くて固い殻のようなもの」ではなく、「私の隣に住んでいて、私が無理をしそうな時に思いっきり手をつかんで止めてくれるちょっとクセのある親戚」なのかもしれません。

私は「世間的な正解とされる生き方」の道をそれて、自然な生き方を見つける道を歩きはじめようとしています。

うつ病はその仲間として、共に歩んでいくのかもしれません。共に歩むためには、お互いをよく知り、少し打ち解ける必要はありそうです。

それはいますぐに分からないし、今すぐに結論を出さなければいけないことではありません。フィットする生き方は、世界に一つだけではないし、一人に一つだけでもありません。

少なくとも私は、自然な生き方に向けて、紙一枚分の一歩でも、まず歩き出してみることにしました。

それは、取りに足らない変化かもしれません。しかし私は、ただ理想とのギャップに打ちひしがれて自分を責め、傷つけていた高校生の頃の自分よりも、うつ病を経験し、誰のものでもない自分の一歩を踏み出した自分のことが、ようやく少し好きになれそうです。

さて、長い間、お読みいただき本当にありがとうございます。

今回で、私の2回のうつ病の経験を基にした、紙一枚分の工夫の話は、いま現在までたどり着きました。

これで一応の一区切りとなります。

ほんの少しでも皆様の方の力が自然に抜けたなら、何か気づきのきっかけをつかんでいただけたなら、何よりの喜びです。

これからは、現在進行形でその都度紙一枚分の工夫について書いていければと思います。

それでは。

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