ナチュラルなイキカタ

うつ病生活7年目の36歳サラリーマン。多くの人にナチュラルな生き方の心地よさを知ってほしい。精神科の薬の断薬・減薬、認知行動療法からスピリチュアルまで小さな行動の積み重ねをトライ中。つらい思いで苦しむ人の心が少しでも軽くなるように体験をシェア。ゆるりと更新中。

当たり屋のような予期せぬトラブルに見舞われた時は

こんにちは!

ketoraaaです。

これまで、私が体験した小さな行動・工夫・言葉をご紹介してきました。

これらが、長い時間と共に鍾乳石が作られていくように、しずくのように滴って堆積し、私の自然な生き方というしなやかな石が作っていけたら、と思っています。

ですが、ほんの少しの風で砂が舞い散るように、形になっていたと思っていた鍾乳洞の一部が崩れてしまうことが、必ずあります。

望む望まないに関わらず、トラブルは当たり屋のように予期せず訪れます。

何度となく経験します。

まぁ無くなることはなさそうです。

それでも、焦らず、慌てず、あきらめず、小さな行動を積み重ねていく、それだけが大事だと思います。

復職から1年半たったある土曜日の事でした。これまでに書いてきたような小さな工夫もあって、しばらく全体的なコンディションは悪くないという日が続いていました。

2日後の月曜日から、妻の誕生日祝いも兼ねて沖縄旅行に行く予定でしたので、その旅行を楽しみに日々乗り切っていました。

休日には、犬の散歩で近所のドッグランにいくのが習慣になっていましたので、その土曜日も何も考えずドッグランに行きました。

その日はたまたま、口輪をした、我が家の犬と少し相性の悪い犬がいました。

そして、私がふと目を離した時に、2匹がケンカを始めました。ドッグランは犬同士が触れ合う場ですから、ケンカ自体はよくあることです。

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お互いの飼い主が止めに入って、ケンカはおさまりました。

その時に、相手の飼い主の娘さんが、止めに入った時に何がどうなったのか顔から転んだらしく、痛そうに顔を抑えています。

一応様子を見てみると、顔には土がついていました血も出ておらず、ケガというほどのこともなさそうでした。

私は、その飼い主さんの口うるさそうな雰囲気にもともと苦手意識を持っていたため、頭を下げ、興奮状態にある我が家の犬を連れてドッグランを出ました。

ドッグランでは、一部の飼い主が集まり、何事かを話し合っています。嫌な予感がしました。

次の日も、何も考えずドッグランにいきました。すると、口輪の犬とは別の、私がちょっと苦手にしている飼い主さんが、ドッグランの帰り際に私に向かって、「○○(口輪の犬)の娘さん、○○(我が家の犬)にかまれていた。それなのに○○のパパ(私)がちゃんと挨拶がなかったのが問題になっている。あなたの態度を何とかした方がよい」と声をかけていきました。

その時は、突然の出来事だったので、「あ、はい。すみません」と、とっさに返事をしましたが、そこから5分くらいで私の胃がぎゅーっと痛み出してきました。

頭が高速でその一場面を思い浮かべて、様々な自動思考が湧き出してきました(自動思考ですから、内容が正論かどうかは置いておきます)。

「かまれていたって?それならその時言ってくれれば、まだ違った態度がとれたのに、あとからネチネチ言ってくるとは、やっぱりあの飼い主は変だと思っていた」

「そもそも、犬が一方的に人間を噛むなら問題だが、犬同士のケンカを止めに入った際に、何かの拍子にかまれてしまうのは、どちらが良い悪いという話ではなくて、お互い様だ。私の態度を一方的に問題にするようなことではないだろう。ましてや転んだのはうちの犬とは関係ない。自業自得だ」

「誰が問題にしているんだろう。私が犬を連れてきているときに、そんな風に思われていたのか。派閥のようなものだろうか。そんなものがあるなら、ドッグランにくるのは面倒だ」

「そんなに私の態度は問題だったのだろうか」

「そもそも口輪が必要な犬をドッグランに連れてくるのはどうなんだ」

「なんで関係ない別の飼い主が捨てセリフのようにそれを言っていくのだ」

「もしずっと犬を抑えていろということなら、そんなものはドッグランの意味がない」

「あの時にさっさと頭を下げて露骨に謝罪しておけばよかった」

「なんで私が一方的に謝らなければいけないのだ」

いま書き出してみると、すごい量です。

たった一言の注意ですが、自動思考のパワーを感じます。

これらの考えを検証するために、何度も何度も、前日のケンカの場面、その後ドッグランを出るまでの場面、注意された場面を思い返しました。

そして、胃の痛みで、その日のうちに食欲がなくなりました。

その晩にとりあえずコラム表を書いて、その場面を外部に出して完結させようとしました。

それでも、翌日からの楽しみしていた沖縄旅行でも、何度も何度もその場面が自動的に思い出されます。

そして次第に、「せっかく足元を固めていたのに、このように些細な事であっという間に足元をすくわれてしまうとは、今後大丈夫だろうか」という不安も出てきました。

結局、2泊3日の沖縄旅行中も6割くらいはこのことを考えていて、すっかり消耗してしまいました。

自分でも表情がなくなり、楽しい、おいしいという感覚が弱ってきているのが分かりました。「半年前から準備していたせっかくの旅行なのに」と悔しさも募りました。

さて、この状況をどう捉えるのか?次回に続きます。

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