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やりがいを求めて東日本大震災の被災地の部署へ異動する

こんにちは!

ketoraaaです。

前回は、仕事が激務になったけれど、やり甲斐を見いだせなかったというところまで話しました。

私は、「この生活をもう1年やったら、身体がもたない。同じもたないのなら、今のような存在意義がよく分からない仕事よりも、もっと人の役に立ちたい」と、当時切実に人手を必要としていた東日本大震災の被災地の部署に異動を希望しました。

喉がカラカラに乾くように、人の役に立つ実感を欲していて、とりわけ困難な部署を希望しました。

希望はかない、東日本大震災からおよそ1年後の平成24年4月から被災地に異動しました。1年間の期間限定の異動でした。

被災地の部署は、未曽有の大災害の混乱の渦中にあり、仕事の進め方も東京の部署と違うため、東京の頃に比べて残業時間は減ったものの、自分のノウハウが通用しない様々な場面に出くわすことになりました。

異動当初はワーカーズハイを引きずっていたため、その度に試行錯誤して、とにかく思いついたものを片っ端からやってみました。

この頃には、自分の仕事が被災地の人の役に立つといううれしさもあって、「宿題もできず、課題もできず、夢もあきらめて、自分はいつも中途半端だった。この機会に自分の限界に挑戦してみよう」くらいに考えていました。

四六時中、この事業は「どうすべきか」「どうあるべきか」と仕事のことを考えるようになりました。

色々なことを仕事と関連付けて考えて、仕事にフィードバックしようとしました。

私の試みは、琵琶湖に波紋をたてるだけの滴のように徒労に終わることが多かったですが、今思っても、もともと「ほどほどに働ければ十分」という考えを持った人間と思えない仕事ぶりだったと思います。

それは、現地の社員の反発を受けることもありつつも、「ketoraaaさんはアイデアマン」という評判が立つほどでした。

現地の社員と打ち解けよう、地域にお金を落とそうと、お酒はほとんど飲めなくても飲み会にも積極的に参加しました。休日もできるだけ東北の温泉などをめぐりました。

つづきます。

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